日本から約11時間半のフライトの末に着いたウィーンは、もう初冬の気候でした。ひんやりと乾燥した空気が懐かしく、久しぶりにヨーロッパの大地を踏んで心躍るのも束の間、空港からの鉄道の切符販売機で迷うものの、駅員さんはどこにも見当たらず、電車はアナウンスも無く発車するばかり。ああ、この説明もなく放っておかれる感じも、懐かしい・・・!と、身が引き締まる思いがしました。
到着は夕方でしたので、その日は名物ウィーナーシュニッツェル(薄いカツレツ)を食べて早めに休み、翌朝は、お目当てのパスクァラティ・ハウスへ。これは、1791年にパスクァラティ男爵によって、要塞の一部の上に建てられた5階建ての建物なのですが、ベートーヴェン(1770-1827)は、この5階部分に1804~1814年までの間、繰り返し住みました。
まず、狭いらせん階段を5階まで上がっていくのですが、最後は息を切らしながらも、ベートーヴェンは毎日ここを昇り降りしていたんだ~!と感激。エレベーターも無い時代、歩くしかなかったわけですから、さぞ体が鍛えられただろうなあと、想像してしまいました(笑)。
階段を上がりきると、そこは見晴らしの良い素敵な眺め。現在とは違い、当時は周りに建物がほとんど無かったようなので、眼下には野原や田園風景が広がっていたのでしょうね。いくつもある部屋には、ベートーヴェンの使用したピアノをはじめ、様々な絵や自筆譜、手紙の数々が展示されていました。それらを見て、何を感じるのか、というのが今回の旅の最大の目的でしたので、一つ一つじっくりと観察。そうすると、その筆跡から、これまでの想像とは違うベートーヴェン像が浮かび上がりました。
私の想像では、(申し訳ないのですが!)もっと強烈で、押しの強いような字を書く人かと思っていたのですが、意外にも優しく、時にはエレガントで、とても大らかな筆跡であることに驚きました。自筆譜は、まず、五線の幅が想像以上に細かいものでしたので、ここに音符を書き込んでいくだけでも、かなり繊細な作業だなあと、感心。さらに楽譜をよく見ると、その書き方から何とも大らかな気分が伝わってきて、交響曲第7番の一部を目で追い、頭に響かせながら、幸せいっぱいの気分になりました♪
壁には、ベートーヴェンが気に入って故郷から取り寄せたという、尊敬するお祖父さんの絵が。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンという全く同じ名前のお祖父さんは、ベルギーのフランドル地方の出身で、素晴らしい音楽家だったようですが、今まで何度も本で見ていた絵が、意外に大きく立派だったことに感心。お祖父さんの手元に楽譜があるのも印象的で、ベートーヴェンは、父親にはあまり恵まれませんでしたが、彼が3歳の頃に亡くなったお祖父さんには、自分の音楽的才能のルーツを感じて誇りに思っていたのでしょうね。ベートーヴェンは、毎日この絵を大事に眺めていたんだ・・・と思うと、感慨深いものがありました。
翌日は、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」の書かれた、ウィーン郊外の町ハイリゲンシュタットへ。中心地から路面電車で30分ぐらい行くと、そこには、ウィーンの森が待っていました。まずは、憧れの「ベートーヴェンの散歩道」を散策。朝早いので、ほとんど人通りがなく、ちょっぴりコワくもありましたが(笑)、美しい小鳥たちの声が出迎えてくれて、小川のせせらぎを聴きつつ感激して歩きました。と同時に、こんなにも美しい鳥たちの声が、ベートーヴェンには聞こえなかったのかと思うと、切ない気持ちにもなりました。
その後は、聴覚の衰えに絶望して遺書を書いた時の家へ。そこにも、遺書の他に、手紙、自筆譜、ピアノの他、様々な興味深い展示がありました。遺書は、特にじっくりと観察しましたが、ベートーヴェンの疲れた心が伝わってきて、胸が締め付けられるようでした。隣には、交響曲第6番「田園」が鳴り響く部屋がありましたが、ここの雰囲気に合う~!と、思わず笑みが。現在の街並みは当時と変わってしまっていますが、昔のハイリゲンシュタットの風景画が沢山飾られている中で聴く「田園」は格別で、自然を愛してやまないベートーヴェンの心がしっかりと伝わってきました。
この家の近くは、ベートーヴェンの愛したワインが数多く作られているエリアですので、帰りはホイリゲ酒場へ。そこで、同じく日本人の一人旅女子と出会い(笑)、彼女もベートーヴェンゆかりの地に行ってきたとのことで、ワイン片手に楽しいひとときを過ごしました。「来年のベートーヴェンのリサイタル、ぜひ聴きに行きます!」なんて言っていただけて、思いがけず嬉しい出会いとなりました♪